“応援”プロジェクト

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人間の可能性はどこまで果てしないのか 立ち止まったり歩いてみたりしながら考えてみるブログです

過去からの贈り物

こんばんは、やまとです。

今日は私が中学、高校で学んだ唯一のことを記録しておきたいと思います。

 

私は、中学時代、高校時代どちらも何か一生懸命に取り組んだことややり遂げたことがありません。

 

中学は三年間野球をやっていましたが、試合には出れず、いつもベンチでした。

人数も少なく、強豪の中学と比べたらベンチに入れたことも奇跡なくらい、練習も行くだけ行って熱心にはやりませんでした。それどころかいつも、チームや監督の文句、野球に対する不満が絶えませんでした。

 

そのような考えで日々を過ごしていたので野球どころかスポーツ全般が嫌いになってしまいました。

考えや行いとは恐ろしいものです。

 

どれくらい恐ろしいかというと、野球部を引退したとき、泣きながらグローブを踏みつけて蹴っ飛ばしたほどです。(どんだけひねくれてるんだか、、、)

そうしないと、自分を保っていられなかったのだと思います。

 

そんな中学生活を送ったせいか、高校では部活は何もやらず、勉強に打ち込むことにしました。

当時は、海外に行きたいという願望があったため、英語を中心に一年のうちから、塾にこもり勉強をしていました。

 

しかし、高校三年に入って勉強もガス欠してしまいます。

というのも、高校で部活をやり遂げた人たちが続々と引退し、次は勉強だ!と意気込んでいる姿を見て、勉強しかやってこなかった自分に負い目を感じたからです。

 

私がやってきた勉強は部活をしている人が部活をしている時間に少し多く勉強をしていた程度のもので、時間だけ投資していたようなもので、熱心さは一切なかったです。

 

今考えると、勉強している目的があいまいだったし、中学時代についた自分を甘やかす癖が出ていたのだと思います。

 

そして、志望校も絞れないままセンター試験に突入。

東京の大学に行けば面白そうという理由で有名私立をいくつか受けるも全落ち。

 

学校の先生からは、「あんなに勉強していたのになぜ最後にガス欠したのか」とよく言われました。

 

結局、地方の大学に受かって入学は決まったのですが、その時、家族が泣いて喜んでくれました。

合格発表のとき、私は、熱心に勉強したわけでなく、入りたかったわけでもなく合格したのでなんの感情も沸かなかったのですが、家族の安堵と涙を見てぼろぼろと涙がこぼれました。

 

『なんで本気でやらなかったんだろう、熱心に取り組まなかったんだろう、悔し涙くらい流すほどやれなかったんだろう、この三年間はなんだったんだ』

と。

 

つまり、私はスポーツからも勉強からも逃げて楽なほうに流れていったのです。

環境や人の性にしながら、ひねくれた自分を守っていました。

卒業して、人生で初めて【後悔】をしました。

 

大学では変わろうと決意しました。

だから、今の自分がいるのかもしれません。

 

で、結局、中学高校でなにを得たのかをまとめると

 

すべきことには熱心にまじめに素直にちゃんと取り組む人が一番かっこいい

自分もそうなろう

 

ということです。

 

ひねくれた自分からの卒業でした。

今でもその性格を直すのにもがいてはいるものの、その後悔が大きすぎるためか、変わることに何の抵抗もありません。

 

さて、長くなりましたが、私の過去から学び取ったものです。これしかないけど、本当に大きなことだと思っていて。

 

いつまでも大切にしたいことです。

長文失礼しました。 時間があれば編集してもっと読みやすくしようかと(笑)

ひとまず、備忘録として簡単に記します。

それでは!