もし“超一流”の人と出逢ったら
【“超一流”の人とはなかなか出逢えない。
もし出逢えたのなら絶対、離しちゃいけない。
もう二度と会えないかもしれないから。】
ここで使っている“超一流”っていう定義は、物語の主人公のような空気感を持っていて、なぜか惹かれてしまう。ついていきたいと直感する。そんな人です。
小説やマンガでだけの話かと思っていましたが、どうやら現実世界にもいるようです笑
そんな人の周りには、優秀な人はもちろん、様々な個性をもった賑やかな人達が集まる。
「自分もいつかそんな人になりたい!」とかいう次元の話じゃない。「この人と一緒にいれば自分はなんでもできる気がする」と思わせてしまうから“超一流”なんだなと。
“超一流”の人に出逢ったことのある人って一体どれくらいいるんだろう?
学校や会社で会ったことがあるなら、かなりの幸運。
高学歴とか都会に住んでるとか、起業してるとかリーダー経験があるとか、そうゆうの一切なしで、もう国に数人いるかいないかのものだと思ってる。
だから、もし出逢ったら、離しちゃダメだ。
会いたかったら探さないといけないけど、ネット検索でもFacebookでも出てこないような人達だから“超一流”なのかもなあ。
以上、最近強く感じていることでした。m(_ _)m
塩のような人になりたい
こんにちは、お元気ですか?
ふと、自分にブログ上の名前がないことに気付きました汗
〈やまと〉といいます。よろしくお願いします。
今日は、自分がどんな人になりたいのかについて書いていこうと思います
どんな人になりたいか。
一言で言えば “塩” です
塩??と思った人へ
“塩”がどんなものか考えてみましょう
塩は唯一無二の味を持ちながら単体ではあまり用いられることなく、様々の料理の味を引き立て、食材が腐敗するのを防ぐ役割をします
あぁ。なんて素晴らしいのでしょう!私が掲げるビジョンとほぼ同質!(笑)
塩の特徴なんて当たり前すぎて最近まで気づきませんでした。
すなわち、私は塩のように唯一無二の個性を放ちながら、その人の味を引き立て、埋もれかけている(腐りかけている)人の個性を守る、そのような人に成りたい。
塩顏、塩対応など、一般的には特徴のない、冷たいものの例えのように使われていますが、
塩はそれ以上に奥が深いですね。
新約聖書にも地の塩というの記述があるそうですが、現代にも当てはめられますね
というわけで、私がどのような人物になりたいか、と聞かれたら “塩”と答えるでしょうというお話でした(笑)
ではまた次回…!
新しい世界の住人
こんにちは、今日は行動力が溢れ、チャレンジ精神が旺盛な先輩方と熱く語ってきました!
その中で、ふと感じたことを今日は書き残そうと思います
「新しい世界を覗きに行く」
これは、僕が以前まで大好きだった言葉であり、人生を生きる上での糧でした
新しさを求め、今とは違った世界を覗きに様々な業界の人、夢を追いかける人、社会貢献に全力を尽くす人たちが集まる場所に何度も顔を出してきました
しかし、そうしているうちにひどく頭を悩ませたことがあります
それは、自分が新しい世界の傍観者だということ。
自分は新しい世界に住んでいるわけではない。
覗きに来ているだけなんだ と。
たくさんの人に出会えば出会うほど、自分の考えが成長して、自分そのものも成長していっているような“錯覚”に陥っているように感じたのです。
その時から私は、自分の身を置く場所を考えました。
新しい世界を覗きに行くのではなく、新しい世界の住人になろうと決心したのです
その考えが今では人生の転換期を意味していたんだと痛烈に感じています。
というのも
自分の気持ちに正直になり、身を置く場所を探していたところで
考え方、行い、ビジョン全てに共感できる
人生の恩師と出会うのです
今ではその人の元で、またその人に共感する同志たちの元で自分を成長させられることに深く感謝しています
話をまとめます
新しい世界の覗きに行くことは決して悪いことではありません
しかし、新しい世界を見続けることが成長ではないのです。
自分を置いた場所、置かれた場所で新しい世界を創造する
それができてはじめて成長と言えるのではないでしょうか?
人は、新しい世界の傍観者よりも、新しい世界を創っていく人に魅力を感じるのです。
今、留学やインターン、セミナーや講演会などに参加している学生の方で少しでも共感していただけた方がいたら幸いです
これよりもっと踏み込んだことも
また別の機会に…!
“応援”が職になる時代
将来何になるか、どんな夢があるのか 誰もが一度は聞かれたことのある質問だと思います
しかし、それをはっきり分かって、目標に明確に突き進んで行ける人がどれだけいるでしょうか?
私は、大学で自分をもう一度省みるためにインターンシップ、ボランティア団体、サークルといった“組織”に属してみることにしました。
そこでの出会いや役割を与えられたことによって、自分の意識とは無関係に得意なこと好きなことが徐々に分かってきて、今では確信になりつつあります。
それは誰かの夢を応援する、その人の本来持つものを引き出すというものでした
自分があまりにも足りないからこそ、人の良いところはたくさん目につくのです
思えば、昔から親や友達にそういうことの方が向いていると言われてきました。しかし、そのたびに、起業家になりたいだの俳優になりたいなどといって自分の持つものから目を背け、人から注目される職業に憧れを抱いてきました
でも、それは無理していたと自覚できるまで何年もかかりましたし、認めたくなかったのが事実です。
大学に来て、学校とは別の“組織”に属することで見えてきた観点です。
学校という“組織”にいてそれに気付けたら一番いいとは思いますが、なかなか難しいと思います
そうしているうちにクラウドファンディングという制度を見つたり、世の中の職業って意外と誰かを応援することと直結してるのでは?などと考えるようになるなどして、このブログも書き始める訳ですが、それはまた次回…!